ゲームのある日常

ゲームを生涯の趣味にしようと思ったオッサンの独り言。

ゲームは1日1時間

WHO、「ゲーム障害」を疾病と認定 | TechCrunch Japan
https://jp.techcrunch.com/2018/06/19/2018-06-18-gaming-disorder-is-officially-recognized-by-the-world-health-organization/

 

定義を見る限り、いわゆる依存症全般を含むような(ゲームという単語をギャンブルに置き換えても成立するような)内容であり、わざわざそれを「ゲーム障害」として規定する意味もよくわからないのだが、その規定内容はどうであれ、この「ゲーム障害」という言葉を「悪意に基づく意図的な誤解」で理解したがる人は少なくないだろうなぁ。

WHO自体が「ゲーム障害に該当する患者はゲーマーのごく少数」としていても、そんなことはお構いなしに、ゲーム批判の常套句として「ゲーム障害」という言葉が独り歩きする可能性は極めて高いだろう。

ゲームに理解のない古い世代が、なぜここまでゲームを毛嫌いするのかは、興味深いことではある。考えられるのは、ゲームを知らない人には、ゲームをプレイしている人の行動が理解できず、そこに不気味さ、気持ち悪さを感じるという可能性。電車やバスの車内で携帯電話の通話を行う人間がなんとなく気持ち悪く感じるのと同じ理屈だ。

その人物は傍から見ればなにか会話していることは間違いないが、対話の相手が見えない=不在であるために、その「対話」という行為の意味するところがわからず、そのことに不安になり不快になるのではないだろうか。まだそれが携帯電話を用いての行為なら、見えない通話者の存在を信じることができるからいいが、これが所謂「電波受信中」の人が行う「対話」の場合は、ほとんどの人がその行為に気味の悪さや不快を覚えるだろう。

ゲームにしてもそれと同じことが言えそうだ。

ゲームプレイヤーはそのゲームのルールを理解して、画面上のキャラやユニットを操作しゲームプレイを楽しむことができる。しかし、そのゲームのルールを知らない人(親)にとっては、ゲームの操作に夢中になるプレイヤー(子)の行動が「対話相手のいない会話をする人」と同等の気味悪さを持って捉えられるのかもしれない。

まして、その子がプレイしているのがマルチプレイのゲームであれば。

マルチプレーのゲーム空間には他者が存在し、プレイヤーは現実社会と同じように相手プレイヤーとコミュニケーションをすることが求められる。しかし、そもそもゲームを理解していない者にとっては、そのプレイヤーの行為はますます「対話相手不在の会話を楽しむ」行為に見えるという可能性は高そうだ。

いずれにせよゲームへの偏見はゲームへの無理解が生んでいる問題であることには違いない。